1969年4月24日は、この3か月で4回目の訪問だそうです。
前回、守護者を負かせなかったのは、カルロスが戦士のように生きなかったからだ、とご無体なことを言われます。(分離167)
このままではなかなか”見る”ことができないだろう、他の弟子に後れをとるぞなんてひどいことを言われます。ドン・ファン、スポーツのコーチには向いてないですね。
悲しくなったカルロスが子供の頃の話をはじめると、いきなり何か大事な「約束」を忘れていないか?と言われます。
追記2017/5/16)この「約束」の話は、カルロスが好きなネタです。(私見ですが)作り話です。ぜひ、こちらもお読みください。
「一度えらく大事なことを約束したな。たぶんその約束が”見る”のを妨げているんだ」
まったく思い出せない。でも、少し辛かったと言うと、
「わしだって子供のころはひどく不幸でこわかったさ。インディアンに生まれるってのはつらい、ひどくつらいことだからな」(分離169)
つらさをフィルタリングできる”見る”能力が必要だったドン・ファンの人生が少し明らかになります。
「わしはやせ細った子供でいつもこわがっておった」
「一番はっきり覚えとるのは、オフクロがメキシコ兵に殺されたときのあのおそろしさと悲しみだ」彼はその記憶がまだ胸に痛むかのように静かに言った。(分離170)
「オフクロのからだにしがみついたらムチで指を打たれ、指が折れた」
少年ドン・ファンが理不尽に殺された母親にしがみついている姿を想像すると胸が締め付けられます。
それはいつごろのことなのかカルロスがドン・ファンに尋ねるとヤキの大戦争があった7つの頃と答えます。
日本語の資料で付け焼刃ですが、今更ながらヤキの歴史をひもといてみますと、1821年、スペインの支配から独立してメキシコになってから100年もの期間、大小の戦乱が続いていたことを知りました。
※日本語ウィキには情報がないので英語版へのリンクを設けておきます。
ここで1891年生まれのドン・ファンが「大戦争」と言っているのは、1900年に起きたテタビアテという指導者が起こした反乱のことだと思います。この戦いはその1,2年前から萌芽となる戦闘が起きていたそうですからドン・ファンの母親はそのような争いの過程で殺害されたのでしょう。
「オヤジは殺されずに、二人は貨車につめこまれた。オヤジはその時したけがが悪化して貨車の中で死んだ」
両親を失った少年の心はいかばかりか。居合わせた捕虜たちが指の怪我の手当てをして面倒を見てくれたそうです。
この貨車というのは、この戦いの結果、メキシコ政府がソノラ地方のインディアンたちを強制的に中央メキシコに追放(強制移住)させていたときの話です。(教え18)
ドン・ファンが中央メキシコと言っているのは1890年代に捕虜になった人たちは例のオアハカに移され、1900年代から始まった本格的な強制移住はユカタン半島だそうです。
時系列の感じから、ドン・ファンのお母さんが殺されたのは彼が7つの時より少し上だったかもしれません。
追記)ドン・ファンは、1900年に中央メキシコに強制移住させられ40年まで暮らします。したがって母親が殺されたときと貨車に載せられたときが同じとすると母親が殺されたのはドン・ファンが9歳の時ということになります。
「わしの生活は良くも悪くもなかった。ただつらかったんだ。生活はつらい、そして子供にとっちゃそれは時には恐怖そのものなのさ」(分離171)
この話をきっかけに子供のころの話をしだしたカルロスにドン・ファンが言います。
「人は勝か負けるかのどちらかで、それによって迫害者になったり犠牲者になったりするのだ。人が『見る』ことのできないかぎりこの二つの状態はずっと存続する。逆に言えば『見る』ことによって勝利とか敗北とか苦しみといった幻想がかき消されるのだ」(分離172)
(初出:2016年8月22日「分離9 こどもの頃の約束(1)」)