ようやく第三巻『イクストランへの旅』です。
先は長いですが、後期作品群の方はさくさく行けるのでは?と思っています。
カルロスは、この著書で博士号を取得しています。本のタイトルにもなっている「イクストランへの旅」のエピソードは感動的で一連の著作の中でも珠玉の出来かと思います。
1971年5月22日の訪問です。
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彼は自分がヤキ・インディアンだといっているが、だからといって、彼の呪術についての知識がヤキ・インディアンのあいだで一般的に知られているとか、行われているというわけではない。(旅9)
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と書かれています。
ドン・ファンの著作が偽作であることの証拠としてペヨーテの服用をはじめドン・ファンの呪術や習慣がヤキでは行われていないというデミル(虚実)の指摘があります。
上記の記述はデミルに対する「牽制」として書かれたのでしょうか?
『イクストラン』は、1972年に出版されています。一方、デミルの『カスタネダの旅』(虚実)は、1976年に第一版が出されています。
「虚実」の中でデミルは、1975年9月6日、カルロスに「昼食」を誘う手紙を出しています。(虚実97)
返事はありませんでした。
デミルは調査に1年かかったと言っています。(虚実117)
発行時期と執筆期間を考えると調査自体は、昼食を誘う手紙より前に始まっていたはずですが『イクストラン』の”執筆時”よりも前ということはありえません。
なぜならデミルは、1975年の春までカスタネダの本を読んだことがなかったと言っているからです(虚実104))
したがって、上記の記述はデミル(の批判)に対する反論で書かれたものではないことがわかります。
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わたしが彼の弟子だったころの会話には、すべてスペイン語を使った。そして、彼の信念体系の複雑な説明を得ることができたとすれば、それはまったく彼の語学力のおかげだ。
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この下りもデミルの中に二人の会話はハナから英語で構成されているのではないか?というワッソン(幻覚性植物の専門家)の指摘が紹介されています。(虚実148)
タイシャ・エイブラーの『呪術師の飛翔』には、ジョン・マイケル・エイブラーという名前でドン・ファンが登場します。そちらのドン・ファンは自分はアリゾナ生まれだから英語が達者なのは当然だと言っています。(飛翔214)
ちょっと脱線しますが、私は、タイシャ・エイブラーの著作は、(文章が下手なので)カルロス自身の手によるものではないかと疑っています。これについてはタイシャの著作のエントリーのところであらためて書きたいと思っています。
タイシャの本に登場するドン・ファンの名前が偽名なのは当然ですが、上記のようにすっかりアメリカ人っぽい響きになっています。
(ドン・ファンの正体をぼやかすための攪乱戦法かもしれませんが)
でも、そもそもどうしてドン・ファンが英語で話しちゃいけないんでしょうか?
インディアンの神秘的なムードが壊れちゃうから?
ところでエイミー・ウォレスは、『Sorcerer’s Apprentice』の中で、カルロスの文章力に疑問を呈しています。(Amy24)また、そのことから誰かが手伝ったのではないかと疑って出版社のSimon and Schusterにプロのライターがいたことを突き止めています。
デミルは、『虚実』の中でカルロスの英語を皮肉っぽい調子で褒めていますが、プロのライターが手を加えたから上手に決まってます。(虚実108)
カルロスとドン・ファンの二人が何語で会話したのか?カルロスの一人二役だったのかはさておき、上記の対話の言語についての説明もデミルの著作を読んでから正すために書いたものではありません。
さて、カルロスは、序文でこれまでは幻覚性植物にばかり重きをおいていたためにドン・ファンの教えについて過去の著作で大切なことをスルーしてきていたので「世界を止めること」についてこの巻で扱うと述べ、その概要を「世界についてのわたしの知らなかった呪術的見方があった(旅15)」と述べています。
※カルロスの友人の子供の教育方針について「戦士のやり方」を使うエピソードが語られていますが割愛します。
(初出:2016年9月4日)