四巻目『力の話』の最終回です。
カルロスとドン・ファンは、二日前に車を駐めたところへ戻りました。
「これが、お前との最後の旅だ」
ドン・ファンが以前カルロスが知っていた少年の話を始め、どれだけ時間が経っても、どれだけ離れていても、その少年に対するカルロスの感情は変わらないだろう、と言った。
もちろんこれは、C.J.カスタネダのことですが、C.J.にまつわるエピソードで特にドン・ファンが気に入っている話をおさらいします。
あくまでも私の解釈ですが、この『力の話』の内容での「ドン・ファン」は、カスタネダのイマジネーション上のキャラクターですから、実際はカスタネダ自身の忘れられない思い出ということです。
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その少年とロサンジェルスに近い山へ行ったとき、疲れたというので肩車をしてやった。すると、わたしたちは至福感の波に包まれ、少年が太陽と山々に大声でありがとうと言ったのだった。
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子供との体験では、どの大人もこれに類する思い出があるのではないでしょうか?子からの立場でも親との同様のエピソードを心の中に持っていると思います。
「彼は、そうやってお前に別れを告げたんだ」ドン・ファンが言った。
「別れを告げるやり方はたくさんある。たぶん、一番いいのは楽しい思い出を抱きつづけることだ。たとえば、お前が戦士のように生きていれば、少年を肩車したときに感じた暖かさは死ぬまで新鮮だし強烈なものだろう。それが、戦士の別れの告げ方というものなんだ」(力353)
ドン・ヘナロとパブリートとネストールの三人が目的地で先に待っていました。
ネストールは二人が自分たちだけで”ナワール”と”トナール”に入っていくのを見届ける証人なのだそうです。(力358)
カルロスとパブリートは、これまで世話になった人たちに感謝の言葉を発します。
彼らの師たちが別れの言葉を言います。
「おれたちは笑って楽しんできたぞ」
「だが、何事にも終わりってものがある。これが自然の定めってもんだ」
「(前略)おれたちにもそろそろ解散するときが来た」
ドン・ヘナロが二人へのはなむけとして「戦士のお気に入り」について教えてくれ(力367)、それを受けてドン・ファンがこの大地、世界に対する愛について語ります。
「夕暮れは二つの世界の裂け目だ」
「未知への扉なんだ」
ドン・ファンとドン・ヘナロが二人の耳にささやき、二人は深淵に飛び込みます。
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今回の再読で、二人の深淵へのジャンプについて認識をあらためました。
最後のジャンプの前に予行演習をしていたくだりは、まったく覚えていませんでした。
ひとつ前の投稿にありますように「練習」の際に、ドン・ファンがカルロスは崖の上と谷底と同時に存在していたと話しています。
普通に谷底に身を投げたらもちろん命を落とすわけですが、非日常的感覚にいるので、ありていにいいますと幻覚状態にあるわけで、身を投げたような気がしている、と。
現にカスタネダは、こうして『力の話』の原稿を書いて出版しているわけですから、もちろんその後も生存をしています。
Amy Wallaceの体験を読むと、カルロスは、原因や必要ががまったくない状態にある状況(弟子の親子関係や、その関係者の経歴)に対して伝説を創るためにある時は対象者をその気にさせ、あるいは脅しに近い形で話を(原因や必要性を)捏造しています。
(追記:2023/11/17 このパラグラフ意味がわかりにくいので補足します。例えば弟子の親子関係がもともとうまく行っていたのに、ありもしない過去の事件を捏造して信じ込ませ、親子関係にヒビを入れる。といったような手口です)
私は、せめてこの身投げ体験がなにからなにまで作文なのではなくて、それに近い幻覚症状による体験に基づいて書かれたことを願っています。
(初出:2016年11月28日)