この章は、カルロス・カスタネダがドン・ファンに「入門」するための最初の試練です。
人には誰にも自分にとって「良い」場所がある。それを自分の力で見つけろ、というのがドン・ファンが出した課題ですが、「良い」場所があるのなら「悪い」場所もあって、うっかりそこで休むと具合が悪くなってしまいます。
そんなことってあるのでしょうか?
文中、翻訳の”場所”は、スペイン語で”Sitio”と書かれています。(後に補足あり)
英語でいうところの”Site”です。ウェブサイトのサイト。
確かに、妙にくつろいで疲れがとれる場所ってあるような気もします。
カルロスは、そこら一帯、めったやたらと探せと言われたわけではなく、ドン・ファンの家のベランダの中で探すように指示されます。
文中、ベランダの大きさは、3.6m×2.4mと書いてあります。
これは2.6坪。畳、5.2畳分の空間です。
ここを彼ははいずりまわって自分の場所を6時間以上探し続けていたと書いてあります。それでも見つけられなかった。
ドン・ファンに途中「目を使え。人は目で感じることができる」とアドバイスをもらいます。「目の使い方」についてはこの後も繰り返し登場します。
特に「焦点」を合わせずに見る技術、視野の周辺に注意を払う方法が頻繁に使われます。

これは、「立体視」(ステレオグラム)の目の使い方と同じです。私たちの世界に同時に存在している不思議な世界をみる方法があの目の使い方と関係があるのでしょうか?
いよいよ試練の後半。カルロスはこのように書いています。
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視野の周辺部全体が均質の黄緑色に染まってきた。紫色(敵)の場所にいたら具合が悪くなった。右側の一点であざやかな緑青色に変化した。紫の場所から南東の方向へ14~5センチ離れたところだった。つかれて眠くなった。(中略)わたしは思わず後ずさりし、(何か所かそれらしい場所として目印にしてあった)くつの横の岩にこしかけた。
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そして眠り込んでしまいますが、そここそがホっとして安心するカルロスの場所だったというオチですが・・・。
私の疑問は、核心の部分ではなくて「ベランダ」って「岩」があるんだろうか?
ここは「庭」じゃないのだろうか?
もしかすると日本語のベランダという言葉とスペイン語では意味が違うのでは?
と調べてみましたがやはり屋根のある縁側みたいなものだそうです。
じゃ、ドン・ファンは縁側の上に岩を置いてあったのか?
いったん、英語版に立ち返ってこの部分を読み返してみましたが、いつ「場所」の探索範囲がベランダから庭に広がったのか定かではありませんでした。
ちなみに英語版では、ベランダはポーチ。場所は、サイトではなく、スポットとなっていました。
(初出:2016年7月5日「教え1 私の最良の場所」)