分離6 見ることと眺めること(3/3)

~精霊・盟友・助手・守護者 ~

1968年5月24日、1968年5月25日と呪術師ヴィサンテからもらった草とその精霊についてドン・ファンはカルロスとおさらいをしています。
ドン・ファンは、カルロスが非常に重要な機会を無駄にしたと文句を言っています。

砂漠で出会ってカルロスにヒッチハイクを頼んだ三人は人間ではなく(分離51)精霊だというのです。

『分離したリアリティ』のP52では、カルロスが辞書で引いた精霊の定義付けを読んで聞かせます。

それによると精霊とは”特に(善良か邪悪な)性格をもった幽霊、あるいは特定の地域に住むとされている超自然的存在”だそうです。

カルロスから辞書の定義を聴いたドン・ファンは、その三人を「精霊」と呼んでもいいかもしれない。
しかし、それらは守護者ではない、と言います。

でも、ドン・ファンは、いつもメスカリトは守護者だといいます。メスカリトもサボテンの精だと思っていたのですが、精霊にも「格」があるのでしょうか?

私のここまでの捉え方では、「サボテンが”変身した”またはサボテンの中にいるのがサボテンの精」といった感じで結びつけていますが、「煙」の盟友をめぐる議論でドン・ファンは、この「等号(=)」に関して異議を唱えます。
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盟友は煙の中にいない。煙が盟友のいる所へ連れて行ってくれるんだ。
そして一度盟友と一心同体になっちまえば二度と煙を吸う必要がなくなるのさ。
(分離54)
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「煙」は乗り物のようなものなのでしょうか?
それにしては、材料の採取の際、サボテンにしろ草にしろやけに人格化するところが不思議です。

この後の流れでカルロスにはメスカリトを噛むミトテに手伝いとして参加する機会が与えられます。(分離72・分離93)ドン・ファンの言う通り、カルロスはペヨーテを服用していないのにメスカリトとコンタクトします――単に中毒してるだけかもしれませんが。

ドン・ファンは言います。「盟友は力だ。ブルホが利用する良くも悪くもないただの力さ」辞書の説明では善良か邪悪なという言い方をしていますが、プロの呪術師は良くも悪くもないただの力さ、といいます。ツールそのものに善悪はないですからドン・ファンの解釈の方が肚に落ちますね。

でも、その流れで「いったい盟友ってのは何をするんだい?」と問うと「それは人間がいったい何をするのかって質問するのと同じだな」と返されます。(分離55)
盟友がただのツールなら「機能」があるわけですが、そうとも言えないということがわかります。

シリーズ後半であきらかになりますが、盟友は非有機的生命体なので「人間がいったい何をするのかと同じ問いだ」という答えの意味がそこでようやくわかります。

私たちが「道でみかける幾人かの人は人間ではない」(分離57)だそうです。
私もこれまで街で幾度もみかけてるのかもしれません。

ここでドン・ファンの師が、初めて盟友と接触したとき自分を焼く衝動にかられた、というエピソードが語られますが、記憶にないのでシリーズ後半で再確認する予定です。しばしペンディングとさせてください。(分離59)(pending)

(初出:2016年8月2日「精霊・盟友・助手・守護者・・・・(分離2 見ることと眺めること(3))」)