食後、部屋に戻るとカルロスは落ち着きがなかった。カルロスはスーツケースから銀色のペンと鉛筆、それと外国の硬貨を私に渡した。C.J.にとのことだった。それからスーツケースも”chocho”(C.J.)にあげてほしいと言った。
私はシャワーを浴びた。出てくると彼は電話をかけていた。アメリカやメキシコなどいろいろな人たちに夜通し電話をかけていた。一人はカリフォルニアの誰だか教授だったし、Michael Harnerという彼の編集者だった。ある時は英語で時々スペイン語で。
私が眠りかけたとき彼はオアハカ(Oaxaca)かどこかに電話をしていた。
Oaxacaはドン・ファンか?ドン・ヘナロでしょうか?
翌日はもっとひどかった。彼があまりにも勝手なので私はthe Commodoreに部屋をとって出ていくと言った。彼は私についてきてC.J.にきちんとした教育を受けさせるように、歯医者に通わせるようにと言った。C.J.にウェスト・ヴァージニアでオートバイレースをさせることは危険だと注意した。彼はロビーにつくまでずっとその調子だったので、ついに我慢ができなくなった。
「わかったわ、独裁者!もうわかったから!」
彼は、その場で5000ドルのチェックを私に渡した。
「cho-choにすぐに会いたいんだ。カリフォルニアに寄こしてくれてもいいし、いっしょに南米に旅行してもいい」
私はうわのそらでうなずいた。
彼が言った。「cho-choに独裁者からよろしくって言っておいて」
ウェスト・ヴァージニアのチャールストンの自宅に戻ると、すぐに離婚の手続きを始めた。長年ためらっていたのだ。やりなおせるかと考えていたが今回のニューヨーク訪問で無理だとわかった。
私からの正式な離婚の申し出に対して連絡が来たのは10月だった。彼は理由が分からないと言ったが、ニューヨークでの態度について話した。
まるで受話器を置き忘れたかのような長い沈黙の後、私にニューヨークで彼がどんな様子だったか話してほしいと言った。
カルロスは私の話を聞いてから彼がとても混乱していると言った。
「ぼくは二月にthe Drake Hotelにはいなかったんだよ。ぼくは君に会っていない」
私はこの話に付き合う気がなかった。
「そう?私はニューヨークにいたしあなたによく似た誰かといたし、そのあなたは私の知っているカルロスとは全然違ったわ」
「ちがう、まじめな話なんだ、Maggie.(この呼び方もするんですね)ぼくは二月にニューヨークにいなかったんだ」彼は真剣だった。
私は一瞬、彼がなんでこのようなウソをつくのだろうと考えた。私は一体、この頭のおかしな男と何をしているのだろう?
そしてはたと思い至った。彼が新しいレベルのトリックを人々にしかけ始めていることを。
もう誰も彼を捕まえることはできない。彼と話しても、もう彼は彼ではない、ダブル、分身なのかもしれないのだから。
(初出:2018年8月9日)