本稿では、二つの章を紹介します。
●第11章
第11章は、カルロスが手掛けた彫刻についての話が披露されています。
その内のいくつかをまだマーガレットが所有していて、Sueの胸像も作ったとあります。
また、カルロスがマーガレットの他の交際相手に嫉妬深かった話とインディアンの占星術についてのエピソードが書かれていますが、あまり面白くないので続く第12章に進みます。
●第12章
カルロスは、1958年はNorth New Hampshireに住んでいた。そこから数マイル離れたHawthorneにあるRosencrans通り(Ave.)にあるMattel Toy Companyに職を得た。
日本人にもおなじみのマテル社ですね。
彼は、LACCの四年目、Jonnieという女性が経営するAdams Avenueの下宿に引っ越した。
LACCでは、Vernon Kingという先生がカルロスに(詩を)書くことを勧め、学校新聞で入賞したこともある。
1958年の12月、ハリウッドのCherokee Ave.に家を借りることにした。カルロスとの交際に反対する叔母の態度に変化はなかった。
数か月、同棲して私は、叔母の家に一旦戻った。カルロスは、LACCキャンパスに近いVermont St.にある40階建てのアパートMarietta Apartmentに移った。
最終学期になって彼はシルクスクリーンの仕事をしていて帰化の準備を始めていた。
名前を本名のAranaにするかカスタネダにするか迷ったが結局、カスタネダにした。
1959年に叔母のVelmaが亡くなった。
1959年6月19日、カルロスはLACCを卒業した。美術とプレ心理学で学士号を取得した。実家には、記念写真とともにこの後、UCLAに入る予定だと手紙を出した。これが彼が家族に出した最後の手紙になった。後に出版が成功しても家族はまったくそのことを70年代まで知らなかった。
彼は家族との絆として自分の母の写真を持っていたが、ある日、私との喧嘩の最中に破いてしまった。
(初出:2018年7月3日)