LACCを修了すると、カルロスはUCLAに入学した。
芸術家としての道を断念し、教育を専門にしようと考えた。物書きとして身を立てようと思っていたか?と考えるのは興味深いがこの時点ではまだ考えていなかったと思う。
私の叔母が亡くなってからSouth Detroit Streetのデュープレックス(二階建てのアパート)に引っ越した。私はSue Childressと同居した。
初冬、カルロスはHaggarty’s1(Wilshire Boulvardにある女性ものの店)の経理として夜に働く職を得た。
Andrija Puharich2のThe Sacred Mushroomが出版されたとき、カルロスも含めみんなが読んだ。
カルロスは、霊媒役のオランダ人彫刻家のHarry Stoneと自分を重ね合わせていたかもしれない。
Puharichによりカルロスは、メキシコのシャーマニズムとPsilocybe mexicana(キノコ)を知った。
そしてオルダス・ハックスレーにより、詳しく言えばProfessor J.S.Slotkinの研究によりメスカリン、アメリカ・インディアンが使うペヨーテについても学んだ。
サウスウェストの学生たちにはもう一つ有名なドラッグがあった。”loco weed”(ダツラ)と呼ばれるものだ。
ドン・ファンが教えてくれたことになっている三つのドラッグ、キノコ、ペヨーテ、そしてジムソン・ウィード(ダツラ)のことをカルロスはドン・ファンに教わる1960年より前によく知っていたのだ。
この後、マーガレットとNeville Goddardとの不思議な関わりについてのエピソードがありますが、割愛します。この下りは、神秘学や精神世界について精通していたマーガレットとの付き合いを通じてカスタネダが知識を蓄えていったと示唆しています。
続いて1960年の1月、Farid Aweimrineという中東のビジネスマンとアパートにいた時~結婚のエピソードが詳しく書いてありますが、すでに『ドン・カルロスの教え』に書かれている内容とかぶりますのでそちらをご覧ください。
当初『ドン・カルロスの教え』の著者は、マーガレットの著書を参考にしたと思いましたが、しかし、矛盾があります。
この結婚の詳細を知っているのはマーガレットを含む部屋にいた当事者3人以外にはあり得ません。ですが、マイク・セイガーの『ドン・カルロスの教え』(のオリジナル)は1999年に発表されているのです。
一方、マーガレットの著書は、2001年2月1日発行。マイク・セイガーの記事より後なのです。
これは100%私の推測ですが、マーガレットの回想録のゴースト・ライターがマイク・セイガーなのではないでしょうか?
『ドン・カルロスの教え』とよく似た情緒的な書きっぷり、いかにもプロのドキュメンタリーライターっぽい構成、カルロス周辺の人々の取材内容などから彼自身がマーガレットの口述を元に仕上げたのではないのでしょうか?
(初出:2018年7月4日)