少し前の投稿、「メスカリトとの再会」でカルロスが神のいる天国について話すとドン・ファンに「お前頭おかしいんじゃないか?わしは神のいる所なぞ知らんぞ」と馬鹿にされたエピソードがあって、ドーキンスとドン・ファンは気が合いそうだと書きました。
具体例をお示ししようと思い書棚から『利己的な遺伝子』を引っ張り出してきて、私が特に気に入っていた部分を引用します。
ドーキンスは、この著書に限らずどこもかしこもこのような調子の皮肉攻撃なのですが、下記は特に笑えます。(太字は私)
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DNAは、ヌクレオチドのA、T、C、Gというアルファベットで書かれた、体のつくりかたに関する一種の指令だと考えてよい。それはまるで、巨大なビルの全室に、そのビル全体の設計図をおさめた「書棚」があるかのようである。細胞内のこの「書棚」は核とよばれる。設計図は人間では四六巻にのぼる――この数は種によって異なる。各「巻」は染色体と呼ばれる。(中略)
以降、実物を示す用語と比喩とを適当にまぜながら、建築家の設計のたとえを用いて述べていくことにしよう。「巻」と染色体ということばは、同じものを指すと考えてほしい。また遺伝子間の境界は本のページの境界ほどはっきりしないが、かりに「ページ」は遺伝子と同じ意味に使うことにする。この比喩はかなり先まで使えるであろう。これがついに破綻をきたしたら、また別の比喩を用いることにする。ついでながら、もちろん「建築家」は存在しない。DNAの指令は自然淘汰によって組立てられてきたのである。
(『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス著、訳:日高 敏隆、岸 由二、羽田 節子、垂水 雄二(紀伊国屋書店1998年5月27日17版)P45より)
(初出:2016年8月26日)