ドン・ファンは、カルロスがいつも知らず知らずのうちに自分を手近(available)においている、それをやめなければいけないといいます。
この章のタイトル「近づき難いこと」は原文ではBeing Inaccessibleです。
英語だとスっとわかるのですが日本語にするといきなりわかりにくくなりますよね。
同じく、「手近」もavailableでしてこちらはもっと日本語の文脈になじまない言葉です。かといってカタカナ語にもなりにくいし。
カルロスは、ちゃんと言われているとおりに、自分の生活がどんどん秘密の生活になりつつあると反論します。
しかしドン・ファンは秘密というのでなく「近づき難く(inaccessible)」なることだと言います。
「おまえがかくれとるのをみんなが知っとったら、かくれたってちがいはあるまい」
なるほど。
ひと付き合いの話の流れからいきなりグサっときます。
「おまえのブロンドの友だちはどうしちまったんだ?おまえががほんとに好きだったあの娘(こ)だよ」
なぜ知ってるのだとカルロスは驚きます。
ドン・ファンはカルロスが自分で話したといいますが、記憶にありません。
「以前、おまえには女、それもひどく大事な女がいた。しかし、あるとき、彼女を失ってしまったんだ」(旅107)
彼女が去ってしまったのは、カルロスが自分をあまり手近に置きすぎたのだといいます。
「だれもがおまえら二人のことを知っとったな」
「それが悪いのかい?」
「そうとも、致命的だ。彼女はすばらしい人だった」
要するに自分を「近づき難く」して「控えめに会えば」失わずにすんだと。
「来る日も来る日も、べったりいっしょにいた」からだそうです。
そんなもんですかねぇ。
そうか!! だから結婚って致命的なのですね。
ところでこの女性は誰でしょう?
この時期(1961年)で私たちが知っているカルロス関連の女性といいますとだれでしょう?
後にカルロスの仲間になる「魔女(フロリンダ・ドナー、タイシャ・エイブラー、キャロル・ティッグス)」やAmy Wallaceとはまだ知り合っていません。
私たちが知っているそれらしい女性は二人。
1)カスタネダの妻、マーガレット・カスタネダ
2)ペルー時代の婚約者(※本邦初出です。出典はAmy Wallaceの著書です)
Googleで検索するとマーガレットは、ブロンドではありません。そしてペルー時代の婚約者は画像がないので残念ながら知ることはできません。おそらく現在もスイス在住のCharoというその相手の娘さんはまだ存命でしょうから財力と根性と誠意があれば調べることができるでしょう。
たとえば私がカルロスでその女性のことをぼやかして書くとすると、あえてブロンドでない女性でも文中のドン・ファンに「ブロンド」と言わせることがあると思います。
そこで仮にその女性がマーガレットとしますと、彼女とカスタネダは1960年の1月に結婚。なんとその年の7月には別れてしまいます。(正式な離婚は、1973年の12月17日です)(Maya217)
この記録によると実質的な別れは1960年の7月ですから、本エピソードが起きた1961年6月29日には”悔やんでいる”かもしれません。
マーガレットの自伝『A Magical Journey with Carlos Castaneda』(Maya)は、未読ですのでカルロスがそれほど惚れ込んで別れたことをくやんでいるのかは現時点(初出:2016年9月13日)の私は知りません。(pending)
いずれにせよ、カルロスはあなたや私レベルでは太刀打ちできない部類の下衆の女好きですからこれ以上の詮索は時間の無駄かもしれません。
ちなみに(2)の女性の娘、Charoさんの父親はカルロスです・・・・
いきなり俗っぽくなったのでドン・ファンの言葉に戻ります。
「近づき難くなるってことは、まわりの世界に控えめに触れるってことだ」
ほんとにいいこというなぁ。
ちなみに、ここでもカルロスの背中に軽く触れる場面がありますが、叩きません。
カルロスが人付き合いをしつつ近づき難くなんてなれるわけない矛盾だというと、わかっとらんと一蹴されます。
「そいつが近づき難いのは、自分の世界を調子が狂うほど無理強いせんからだ。それに軽く触れ、必要なだけ留まり、やがて気づくこともできんほどの速さで去って行くのさ」(旅111)
(初出:2016年9月13日)