いよいよ始まります。
この章は、カルロス・カスタネダの略歴とAmyとのなれそめなどが紹介されています。
Amyがはじめてカルロスに会ったのは17歳の時(1972年)です。
まず、彼女の父親のIrvingがハリウッドで催されたパーティでカスタネダに会い、そのことを家族に興奮して報告します。
ニューエイジオタクだったAmyの希望もあり、当時、カスタネダのエージェントだったNed and Myra Brownを通じて本人につなげてもらいます。(Amy3)
この章のカスタネダの紹介では、彼の名前を「Carlos Cesar Salvador Aranha Castaneda」としています(Amy3)。
たしかに本人はAranhaを名乗っていたようですが、苗字は、Arana が正解です。(pending Margaret)
以下のAmyと出会うまでの履歴については、彼女自身ではなく、Margaret Castanedaの著書や他の文献を参照して書かれたものだと思います。(pending)
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彼は、1925年12月25日ペルーのカハマルカ(Peru,Cajamarca)の小さな町の中流の宝石商の家に生まれた。
履歴を消すため、ブラジル生まれとかアルゼンチンとかメキシコ生まれと偽った。
25歳のとき母が亡くなり三日間部屋から出てこなかった、そして二度と家に戻ってこなかった。
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”ドン・カルロス”では24歳となっていて、他の文書からも、おそらく24歳が正解のようです。
次に、ペルーには妊娠中の婚約者がいたが現地に置き去りにした(Amy3)という一文があります。この女性が生んだ子供は女の子で、その子供について『力の第二の環』でラ・ゴルダから指摘されます。(って自分でラ・ゴルダのセリフを書いているだけですが)
ペルーで学んだ後、1951年9月23日にサンフランシスコに船で渡米しますが、母が子供の時(6歳 Amy13)に死んだとか祖父母のキャラクター含め偽の家族の履歴を作ります。
1955年ロサンゼルスのコミュニティカレッジに入り(Amy4)、ここで妻となるMargaret Runyonと出会い、1960年に結婚します。
カルロスは「精管結紮手術(せいかんけっさつしゅじゅつ)」(vasectomy)、つまりパイプカットをしていたので友人にマーガレットとの子供を作ることを頼みました。そして誕生したのがC.J.カスタネダです。(Amy4)
パイプカットの件は、ここがいまのところ一次情報です(pending)。
1959年、文化人類学者になる夢をかなえるためUCLAに入学。メキシコのシャーマンに会いに行くようになります。これがドン・ファンです。
(初出:2016年12月20日)