ダツラ(ジムソン・ウィード)は、ドン・ファンの恩師(benefactor)の盟友で、ドン・ファンは「彼女」と言う呼び方をします。
メスカリトにしろ煙にしろ、何かと擬人化して「精霊」っぽい扱いをするふるまいは、後年明らかになるようにドン・ファンがカルロスの「希望に沿うように」、わざわざ白人が憧れるアニミズムを信仰する「呪術師」らしい振る舞いをしていたたともとれますし、ドン・ファンが師匠に習った通りの昔の風習に従っていだけとも考えられます。
フィクション説側からの視点では、はじめはアニミズム志向で書いていたが、だんだん面倒になってよりニュー・エイジ的な書きぶりになっていったとも解釈できます。(私と同じような印象をもったカスタネダ研究者がいます。これについてはいずれ改めて書きます)
私は、シリーズ前半にはきちんと元ネタとなるドン・ファンに相当する情報提供者に取材したフィールドワーク(記録)があって、後半はカスタネダが創作で書いたと今は解釈しています。
ドン・ファンの発言は後になればなるほど「近代的」になっていきカタカナ用語やインテリ風の言い回しが増えてきます。
例えば、『沈黙の力』の62ページの発言です。
「おまえにとって抽象とは、直観の状態を表すことばなのだろう。そのいい例が”精霊”ということばだ。これは理性や実用的な経験を表すものではない」
ネイティブの長老系呪術師がこんな言い回しを使うでしょうか?
後に、ドン・ファンがパリっとして三つ揃えのスーツでカルロスの前に姿を現したとき「わしは株主なんだ」と言いますが、これはひょっとすると本当のことで本職は個人投資家だったりするかもしれません。
さらに後、カルロスがドン・ファンが仕事ではずすと言うときは、言葉の綾で「仕事」といってるのだろうと思っていたが本当に仕事をしていて驚いたと書いています。本当に企業の役員でもやってたのかもしれません。とすればインテリ風の発言もあり得ることかもしれません。
後に、ドン・ファンの住いだった小屋ですら実はドン・ファンがカルロスの希望に沿った演出だったっと告白しているくらいです。(これらのエピソードもおそらくフィクションです)
さて、呪いのわら人形のような形に仕立てるデビルズ・ウィードには四つの頭があって、種はその内の『穏健な頭』なのだそうです。
しかし、この穏健な頭の秘密に達するものは少なく、ドン・ファンの恩師も達しなかった、といいます。
この説明で重要に思えたのは、「(恩師も含め)彼らはその知識が大事な時代に生きていたんだ」という部分です。
これは後に、呪術師には「世代」があって古い時代の連中とドン・ファンのような「近世」に育った連中の二つに分かれ考え方や知識の取り扱いにギャップがあるという説明がされます。
「・・・大事な時代に生きていた」というのは古い世代を示唆していると考えられます。
ひとまずドン・ファンは、新しい時代の呪術師なのでインテリ呪師なのだ、としておきましょう。
付記:斜陽産業?絶滅危惧職業
後に登場する呪術師たちの「世代間ギャップ」の伏線?が仕込まれているのかもしれないと上で書きました。
「名作」と言われている第一巻から第四巻までは「前期作品」とします。
前期作品では、村の人々やカルロス含め弟子っぽい連中が少しは登場しますが、呪術師は、ドン・ファンとドン・ヘナロ、そして敵役の女呪術師のラ・カタリーナの三人しか登場しません。
ちょっと少ないな。と思っていたんですよ。
ゴジラやネッシーの話題をする時に、群れがいないとそんなに長い間、種が生き延びないだろうみたいな話があります。
そんなネタを意識したのか、失敗作で有名なハリウッドの初代『ゴジラ』ではエンディングでうじゃうじゃとゴジラ(トカゲ)が生まれます。
その伝で人間というか職業(この場合は「呪術師」)でも数人じゃすぐに滅亡しちゃうのではないかなと思っていました。
これを思ってか?はたまた真実だからかカルロスの後記作品に入ると、まるで待っていたかのように男女の呪術師の一団がごちゃごちゃっと現れます。
一方の先輩の呪術師たちも必死になって後継者をリクルートしていたということがわかります。
カルロスは、そんな後継者候補だったのかもしれません。
追記2017/4/20)この解釈は今は違うと思っています。後期作品は上にも書きましたように創作と判断しています。カスタネダが意識してか無意識か自分のカルト集団をイメージして書いたのかもしれないと思っています。
(初出:2016年7月8日「教え3 ダツラの体験と煙の準備(1/5)、2016年7月8日「教え 絶滅危惧職業」」