Maya12『カルロス・カスタネダとの魔法の旅』10

カルロスは、LACCの第二学年の提出論文(学期末レポート)のテーマにハックスレーを選んだ。1957年の12月にカルロスは同級生のJennie Lavereに彼の論文のタイピングを頼んでいる。

「オルダス・ハックスレーの本を読んだのは初めてでした。それから彼の本は何でも読んだわ」Jennieが回想する。彼女は今は、ノース・カロライナで主婦をしている。

「論文は、ペヨーテ、幻覚性植物に関するものだったわ。その当時は、LSDについては知られてなかったし、ほかの幻覚性物質についても情報がなかったなかので論文はちょっとしたものだったわ。ハックスレーの実験が科学的な枠組の中で行われたことに感銘を受けたの」

「カルロスは、自分の思いついたことをたくさん記していてすごい量だった。私がタイプしている後ろから覗き込んで新しいアイデアが浮かぶと加えていくの。私ものちにハクスレーについてレポートを書いたけど彼のには到底及ばなかったわ」

ハックスレーとベルグソン哲学にヒントを得ているが、カルロスは象徴と言語体系まで考えをひろげた。

1973年、カルロスはこのように述べている。

「宇宙を神秘ととらえるのは死んだ馬に鞭を打つようなものだ。我々の前にはとてつもなく素晴らしい世界が広がっている。僕は”そこから”来たし、そこへ戻るんだ。
僕は、とてつもない円環、力の旅である命の中にいる。僕の身体が僕のすべて、知覚のためのすばらしい道具なんだ。僕はそれをとことん使い込むんだ」

彼はハクスレーの他には、Talcot Parsons1の影響も受けている。

LACCの初期の頃、カルロスはあまり友達を作らなかったが、少しだけ仲間がいた。

1956年の秋ごろ私たちの仲はすごく近くなっていた。私はパシフィック・ベルで働いていて彼は学校に行った。夜、私が彼のところに行くか、彼が私のところへ忍んできた。(叔母の建物だったし、叔母は彼を好んでいなかった)
叔母は彼を怪しい南米人と思っていた。
それを感じ取った彼は人種差別と思った。彼はそのころ美術家としても自信を失っていた。

1967年彼が私にくれた手紙にはこうある。
「些細なことで自分の輝きを失ってはいけない」「人生は数秒しかないんだ」

1958年、仕事と両立は難しいと反対だったが私もLACCにパートタイムの学生として通うようにいった。

カルロスに半ば強引に申し込みをさせられロシア語の初級コースに入った。次の学期では、加えて英語、ロシア史、世界の宗教のクラスを取らされた。
私をいつかロシアのリーダーに合わせるのが彼の夢だった。

当時、カルロスと一番仲が良かったのは、Alan Morrisonだろう。LACCの学生だが郵便局でもパートタイムで働いていた。他にはコスタリカ人のByron Deford、同じくLACCの学生。それとSue(Childress)ぐらいか。私のアパートに集まって食事をした。

いつでもワインがたっぷりあった。たいていはMateusだった。クスリはまったくやらなかった。Byronは神秘的な話題が好きだった。

ある日、Byronがこんな話をした。
偉大な宗教のリーダーは、自分では書き物を残していない。ブッダもキリストも。みんな弟子など他の人間が記録したものを僕たちは信じているんだ。

私が言った「もし、私があるとき、究極の生き方を見つけたわ!と言っても信じないでしょ?でも、謎の先生に出会ったの。彼から究極の生き方を習ったのよ。と言った方が信じるんじゃないかしら?」

それがドン・ファン”誕生秘話”?

「『かみそりの刃』(サマーセット・モームのThe Razor’s Edge)みたいに?」とAlan。
「『シッダルタ』(ヘルマン・ヘッセ)みたいに?」Byron が言った。

カルロスがうなずいた。考え込んでいるようだった。いつものように口数は少なく自分のアイデアを述べることはあまりなかったし、大きく賛意を示したり反対することもなかった。そのかわりマテウスのグラスを口に持っていくのだ。

Nevilleの夢についての話も出た。カルロスは夢に興味を持っていた。
またNevilleは、また自分の履歴を消すようにも言っていた。
カルロスは、実際、ドン・ファンに会う前に、そしてNevilleの本を読む前に自分で履歴を消すことを実践していた。
Nevilleは、人が光ビーコンだと言っていた。

当時(1958年)、この話を私がカルロスに言ったら笑っていた。

(初出:2018年6月12日)

  1. タルコット・パーソンズは、アメリカの社会学者。パターン変数、AGIL図式を提唱するなど、機能主義の代表的研究者と目された。ニクラス・ルーマン、ロバート・キング・マートンなどと並び、第二次世界大戦後、最もよく知られた社会学者の一人である。(Wikipediaより↩︎