カルロスは、著書ではその時点でダツラについてまったく無知であったかのように書いている。
事態を一層複雑にしているのは、カルロスがインディアンの情報提供者からドラッグについて教わったのがダツラが一番目のものではないということだ。
彼は最初にペヨーテについて学んだと『教え』で書いている。そして学んだ時期はダツラについての会話が行われる数週間前なのだ。
もし、本当にペヨーテについてダツラより以前に学んだのであればなぜ彼はMeighanに提出した論文にペヨーテについて書かなかったのだろうか?
なぜ出版するまで待ったのだろうか?時系列をごちゃまぜにしてシャーマンへの道が徐々に進むように見せたかったのだろうか?
カルロスの一連の作品は、事実と創作の混合だった可能性がある。アリゾナとカリフォルニアそしてメキシコの砂漠で得た情報の混成、UCLAの図書館も入っているかもしれない。それらを読み物としてまとめたのだ。
逆に、著作の方が彼の弟子生活を正しく書き記したものの可能性もある。
確かなことは1960年、彼が実際にインディアンに会いにいって留守にしていたことだ。
South Detroitのアパートにいることは少なかったし、友達とも過ごすこともなかった、そしてこれまで好きだったオカルト話にも興味を失っていた。
(中略)
彼は、自分の旅行が重要なことだと言っていたが私はあまり興味がなかった。私が知っていたのは彼が家にいないことが多かったことと、それが嫌だったことだ。
ある日の午後、彼はダツラと思われる束を抱えて砂漠から戻ってきて、その煙を私に吸わせて何がおきるか話すように言った。
私には、部屋の中のカーテンだか何かが畳まれるように見えた。カルロスと思しき人間が黄色いメモパッドに私のいうことを書き留めていた。
何時間後かに目覚めたあと私がカルロスに何が起きたのか尋ねたがあまり話したくないようだった。
彼は、まるでそのことが重要でないように振る舞った。彼が書き込んだノートも見せてくれなかった。彼がドラッグをアパートに持ち込んだのは先にも後にもこの一回だけのことだ。
(初出:2018年7月9日)