だからドン・ファンは、そうした(ペルーの治療師の)系譜につらなる知識を持っていた一人なのだ。
カルロス自身も飛んだことがある。
1963年7月6日のダツラの飛行のエピソード省略
カルロスは、ドン・ファンがダツラとヤキの”飛行”について最初に言及した人物だとしているが、実はそうではない。カルロスの友人の人類学者Michael Harnerが、ヤキがビジョンを視るためにダツラを腹に塗ることをカルロスに伝えていたのだ。
Harnerは、1961年にペルーのインディアンのConibo族がayahuascaを使うことに興味を覚え、カルロスに、ヤキにとってのayahuascaがダツラのペーストかどうか調べてみるように言ったのだ。
Harnerがカルロスにこの話をしたときにはカルロスはまったく情報を持っていなかったが、その6年後には調査をしただけでなく実際に体験してみたのだ。
カルロスの本では、この体験は”彼の”ドン・ファン独自の知識であると書いている。
(中略)
カルロスは、当時、忙しかったが貧乏だった。本を読んだり研究をまとめたりと自分がやりたいことはたくさんあるのにお金がなく、彼の時間を生活が奪っていった。
Meighanは、カルロスが空腹で死にそうだったと言っている。タクシーの運転手をやりながら酒屋で売り子をやっていた。
当時、カルロスはC.J.をよく連れ出して自分のアパートに泊めたりUCLAのキャンパスに連れていったりした。1963年の秋のある週末も同じようにC.J.を連れ出したが、この週末は普通と異なった。
三日後、彼がC.J.を連れて戻って来た時、カルロスはC.J.を砂漠に連れて行ってカルロスのインディアンの友達に会ってきたのだと言った。
C.J.は、その時2歳。”証人”としては厳しいかもしれません。
カルロスは、C.J.をドン・ファンに愛する息子だと紹介して将来を託したいと伝えたそうだ。しかし、彼はお金について心配をしていた。カルロスは、C.J.を立派な私立学校に入れて教育を受けさせたいと考えていた。
それと履歴を消さなければいけないということは、C.J.との関係にも影響を及ぼすはずだった。
こうした希望と心配を話しているカルロスをドン・ファンは黙ってうなずいて聞いていたそうだ。ドン・ファンは、砂で遊んでいるC.J.を見おろして言った。
「子ガラスについては心配はいらないぞ」とインディアンが言った。「この子がどこにいて、何をしているかは関係がない。彼はなるようになるさ」
なんという情景!
ドン・ファン、カルロス・カスタネダとまだ二歳のCarlton Jeremy Castanedaが砂漠にともに佇んでいるのだ。
(中略)
C.J.が二歳の時、カルロスが連れていると空を見てC.J.が言った。「太陽をみて。年取って弱そうに見えるよ。明日の朝は、若くて美しくなるよ」
感動したカルロスが私に夜話してくれた。
(中略)
この話は後に、ドン・ファンが話したこととして『イクストランへの旅』の中で予兆に関するエピソードとして扱われている。
明らかに、こうした会話の一部が創作である、だが”ドン・ファン”は実在する。彼は実在するインディアンで、実際にカルロスが会いに行っていた相手だ。(115p)
しかし、いったんカルロスが文書に書き起こすと、ドン・ファンはまったく博識で異なる存在になってしまう。それは、カスタネダのイマジネーションや周囲の人々、上記のようにC.J.や私、Mike Harner、UCLAの同僚、彼のお祖父などとの会話や存在に影響を受けているのだ。
(初出:2018年7月12日)