Maya24『カルロス・カスタネダとの魔法の旅』19(2/3)

chochoがいたから頑張れたんだ。chochoが去ってからなにもかも無くなってしまった」と彼は1967年の1月に手紙をよこした。

chochoのために役にたてないならなにもやる気がおきない。でも、きっとまたいつかchochoの頭を撫でて寝かしつけることができると信じている。(後略)

(彼の手紙にはchochoのためにと何ドルか入れてくれた。)

chochoのためにもっとお金を送ることができるようになると思うし、またきっと会えることを信じている

編集委員会はなかなか判断を出さなかった。春早く、カルロスはドン・ファンや他の人々に会いに砂漠にでかけた。

4月に戻ってくると、彼は事態が好転していると感じた。
彼は自分の論文が認められて本が出版されると感じていると連絡をくれた。

彼は、ワシントンの私に手紙を出すときは(叔母をはじめ親戚に好まれていなかったので)Chalie Spiderという偽名を使った。Arana(という彼の苗字は)スペイン語でSpiderという意味だからだ。

春、カルロスは、MeighanとGarfinkelに昨年の10月に受け損なったテストを受ける許可をもらった。彼はAlbertaと共に電話交換手として働いていた。

Haines Hall(学部)では、たくさんの人々がカルロスの原稿を読んでいた。信じる者もいたし、疑い深いものもいた。

6月下旬から7月にかけて夏には両者による議論が高まった。

僕たちの旅は、長かった。驚異と謎に満ちていた。僕の話を喜んでくれて嬉しいよMayaya。ようやく先が見えてきた。君がいなくて寂しい。君は無敵の戦士だ。でなければ僕の論文は受理されなかったろうし学校に戻ることもできなかったろう」と7月に手紙をよこした。

大変なことになってる。ある連中は、この仕事が古典になるだろうと言ってるし他の連中はクソだと言ってる。でもとにかくみんな読んでくれているんだ。議論になってるのは例の呪術師というところだ。覚えているよね?それと呪術に対する僕のアプローチも議論になっている。とにかく試験に合格しないと。博士号を持つことができれば僕の発言がもっと信用されるようになる。(中略)みんなが大騒ぎしている様は楽しいよ。この本はchochoのために書いたんだ。だってchochoは、呪術師の中でも一番の呪術師だからね

編集委員は、本に感銘を受けて、ずいぶん待たされたが、いよいよCalifornia Pressから出版されることが決まった。

Bill Brightは、これが素晴らしい作品だと他のメンバーに伝えた。
最終的には、Meighanが皆を説得した。

委員会が出版を決定した時にカルロスは学校にいなかった。彼は、9月11日に南メキシコのOaxaca(オアハカ)に出かけていた。彼がいうところのマザテックインディアンのドン・ヘナロに会いに行っていたのだ。

出版の決定が遅れていたので彼は、じれてRandom Houseや他のニューヨークの出版社にも話を持ち掛けていた。彼はGrove Pressにも原稿を送っていた。

(初出:2018年7月20日)