■第21章
1969年、私は旧友たちに会うため、先延ばしにしていたロス旅行をすることになった。
カルロスは、私のためにHollywood Roosevelt Hotelのスイートを予約してくれた。
彼は私とC.J.に会えるのを喜んでいた。
私たちは7月上旬にロスに出かけた。
カルロスはちょうどこの時期、メキシコへ行き、ドン・ファンの家でシロシビン(Psilocybe)キノコを体験したことになっている。
私は一週間でワシントンに戻ったが、カルロスがどうしてもというのでC.J.だけ残ることになった。
C.J.は大学に近いところにあるカルロスの家に泊まった。スペイン風の平屋の家で、電話はなく、カルロスと暮らしていたNanny(UCLAの同級生)が電話をしたいときは表にある公衆電話を使っていた。
カルロスは電話が嫌いで、私と暮らしていた時も押し入れに突っ込んで鳴らないようにしていた。しまいには解約してしまった。
滞在中、カルロスとC.J.は外出からの帰路、空手道場にいるNannyをピックアップした。
夜、NannyはOld Maid(ババ抜き)をしたりC.J.に詩を読んで聞かせた。
C.J.は、Casey at the Bat(アニメーションのことのようです)がお気に入りだった。(他にも参考リンクを設けておきます)
別れ際、カルロスはC.J.にイタリアに行くといったが彼は本気にしなかった。
C.J.は7歳だったが嘘に慣れていた。
■第22章
Quebecは、カルロスをNed Brownに紹介した。
Separate Realityの頃の話だ。
これでカルロスはQuebecの手を離れ商業出版の世界へ入っていった。
C.J.に対する仕送りは、月75ドルから200ドル程度だったが、二巻目(Separate Reality)からカルロスの金回りがよくなってきた。
Alexander Tuckerという男が彼の金銭面の面倒を見るようになった。
この後、A Separate Realityの内容について説明がありますが割愛します。
(初出:2018年7月24日)