Douglas Sharonは、フリーの文化人類学者としてペルーで数年間過ごしたあとUCLAに来た。
1960年、Sharonは高校をドロップアウトして南米に向かった。
1965年、Trujilloの北部ペルーコミュニティ近くのChan Chanの遺跡で働いている時、Eduardo Calderonに出会った。彼は、地元のcurandero(治療師、ヒーラー)で古代の治療法に関する卓越した知識を持っていた。
Eduardoは、Sharonに(呪術の)実践を学ばせようとしたがSharonは多忙で1967年に現地を去ってしまった。
1970年に戻るとSharonはヒーリングの儀式に参加しcuranderoが行う”見る”方法について研究した。
Sharonは、Eduardoの教えを何時間も録音した。細部は異なっているが、カルロスが彼の情報提供者(ドン・ファンのこと)から教わった内容と同じだ。
ドン・ファンは、カルロスにペヨーテを使って”見る”ことを教えたが、Eduarudoは、同じことをSan Pedro cactus(写真)を使った。
カスタネダの修行の最初の年、彼はDaturaの煎じ薬を飲まされたちまち頭が回転し目の前に赤い斑点が生じた。
Sharonに見えたものはremolino(渦巻)だった。彼の目の前に赤と黄色のうずが現れた。
UCLAのペルー考古学を教えていたChristopher Donnanは、二人の体験の類似性にきづきSharonとCarlosの二人に彼のクラスで発表するように頼んだ。
「僕たちは二人ともシャーマニズムを実践している。だからDonnanはいいアイデア(二人が一緒に話すこと)だと思ったんだ。二人の内容が似ているのは別に驚くようなことじゃない。なぜならシャーマニズムを形作る中身はどれも似ているからだ。表面上は、言語が異なるような感じで違うところがあるかもしれないが、深層の心理的な核となる部分はとても似ているんだ。だから僕たちがしていることが似通っているのは偶然じゃないんだ。
「僕はEduarudoが実践しているように率直に秘密を明かすやり方を信じている。彼はぼくの師匠に相応しい人だと思う。個人の歴史というのは彼が生きてきたものだ。彼は14歳だったことがあるだろう。でも今はもう14歳ではない。そして14歳だったときのことを語ることができるんだ。でもそのことは彼を一か所にとどめることはできない。なぜなら彼は彼の仲間たちと一緒に生きているからだ。それが彼の個性で彼のやり方だからだ」
原文でもいきなり出てくる発言なので明示していませんが、「師匠」の下りからこの発言は、おそらくSharonのものです。いずれにせよ、私の英語力のなさのせいか発言の後半は禅問答のようでチンプンカンプンです。
カルロスとSharonの二人は、Chris Donnanの授業の前にシャーマンの教えについて情報交換をした。
1971年の12月、カルロスの二冊目(『分離したリアリティ』)が出版された直後、Sharonがペルーの高地から戻ってきたところだった。二人の大学院生は、生協で落ち合って二人の仕事の共通点についてディスカッションをした。
Sharonは、ここ数カ月を北ペルーでEduarudoとナショナル・グラフィックのカメラマンと過ごしていた。彼らはまさにカルロスの故郷であり伝説のシャーマンたちのいる場所から数百マイルのところ原始魔術の世界観の中心にいたのだ。
(初出:2018年7月25日)