カルロスの授業は、ただふらっと教室に現れて「オーケー、質問のある人手を挙げて」と言うだけだった。
学生たちはドン・ファンのことを知りたがり、世界を止める方法やリアリティを分離する方法についてたずねた。
ドラッグについて聞くと、カルロスはもう使っていないと答えるのだった。
「ドラッグは呪術の重要な要素だと思っていたが、もうそうは思わない。ドラッグは補助的なものだ。ドン・ファンは、彼が教えたすべてのことは世界を止めることだと言った」
カルロスは、ペヨーテ、キノコそしてジムソン・ウィードがドン・ファンが使っていたもの、正確にはドン・ファンの呪術のドラッグだったこと、そしてドン・ファン自身はもう何年も自分では使っていなかったことを話した。
ドラッグは、人をあるところへ連れて行くための地図のようなものだが、その場所そのものではない、と言った。ドラッグは旅の一部分だ。
人は、自分の奥深くに自分の世界に関する知識を蓄えていて、そこから流れ出てくるものを解釈しているのだ。
真実、つまり別の世界は、(同じ世界なのだが)、もっと重苦しくて夢幻的で永遠のものだ。それはまるでWilliam Blakeの洗い流された知覚の扉のようなものだ。
※このあたりの訳は自信がありません。ご参考までに言及されているウィリアム・ブレイクの「知覚の扉」を下記に引用しておきます。
ちなみにこの「知覚の扉」は、オルダス・ハックルスレーの『知覚の扉』のタイトルとして採用されたものです。『知覚の扉』についてはこれまでも触れていますが、1954年の発行ですのでカルロスはもちろんこの本を読んでいます。
他の参照リンク)
○”フォロワーズ(The Followers)”の話(前篇)(3)『ドン・カルロスの教え』(5)
○ドン・ファンの教え~序文(2/2)~
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“If the doors of perception were cleansed every thing would appear to man as it is, Infinite. For man has closed himself up, till he sees all things thro’ narrow chinks of his cavern.”
― William Blake, The Marriage of Heaven and Hell
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余談ですが、このあたりのカルロスの発言に関して原文では「Carlos would」という表現になっています。ニュアンスにもよりますが「仮定法」の一種なので実際の記録としてなんとも言えないと思います。
これに続いて、カルロスがティモシー・リアリーの信奉者たちに出会ったときのエピソードが書かれています。
彼らが手順(儀式)を無視して無造作にキノコを食べておかしくなっているさまを見たドン・ファンが呆れていたという話です。
「キノコは非常に慎重に摘まなくてはいけない。そして一年間ヒョウタンの中に保存してから、他の材料と混ぜるんだ。手順(儀式)は、どのように扱うかまで決まっている。最初に左手に取って次に右手に移してからヒョウタンに入れるのだ。キノコを選ぶ時にもとてつもない集中力が要る。ドラッグを使うということよりも”ヤキ”の実践の方が重要なんだ」
彼は、自分の経験と関連していることを学生たちにも体験させた。
学生が腕につけている時計を指して
「僕は、時計をつけてないと誰でもない。時計は僕の力の物体(Power Object)なんだ」
学生は自分の腕時計を見つめて、じっと考え込んだ。そしてカスタネダ哲学の意味したことを理解しようと必死に頭をひねるのだった。
(初出:2018年7月27日)