「あなたに盟友をお見せしたいのです」カルロスが言った。
「あぁ、かまわないよ、カルロス」とGarfinkelが言った。「大丈夫、盟友がここにいることを信じるよ」
Grafinkelの目が「次に何が起きるのか」という表情で部屋を見まわしてカルロスの頭がおかしくなったのではないかと疑うような感じだったそうだ。
研究にのめりこんでおかしくなる文化人類学者はめずらしくないからだ。
もし、このエピソードがただのジョークだったとしたら、わざわざクラスで話さなかったろう。彼はすでに”カーネル(種の芯)呪術”という呪術の次のステージに進んでいたのだ。
この呪術については彼が著書に詳しく記している。
呪術師は、殺したい相手の呪術師から48粒のトウモロコシの種の芯を盗んで相手が歩く道にこっそり隠す。できれば黄色い花の中がよい。相手の呪術師が間違えて種を踏むと種が相手の体の中に入り込み死に至る。
「ドン・ファンは、ぼくのためのトウモロコシを探してくれている。強力な呪術師は、自分のためのトウモロコシを育てるんだ。ドン・ファンが僕のための種を選んでくれるんだ」
授業が済むと彼はロスアンゼルスに戻りNed BrownとSimon & Schusterと『イクストランへの旅』の出版について打ち合わせをした。
そして私に電話をかけてきて、小切手(生活費)を送ったことを伝え、C.J.の様子を尋ねた。
C.J.は、勉強はよくできていたが教師たちは彼が他の生徒たちとうまくいってないと言っていた。彼は静かで不機嫌で真面目すぎると言った。
私はC.J.が他の生徒たちと比べて大人なだけだと答えた。
カルロスは家に帰ってから私との会話を思い出して憂鬱になった。
なぜならC.J.の問題は彼に起因しているからだ。C.J.には父親がいない。父親の名前もないからだ。
繰り返しになりますが、このような”観察者のいない状況における”カルロスの内面を描く書きっぷりがこの本の弱点だと思います。”マーガレットがそう思った”というニュアンスにすればよかったのに。
彼は教室ではやり残していることがないと言っている。彼は教室で「僕にはもうやり残したことはない。いますぐ永遠に行けるのだ。僕を留めるものは何もない」
これがカルロス・カスタネダなのだ。執着から自由になった男。ウィルシャー大通りのShipsコーヒーで家族と過ごしている一般市民、住宅ローンや結婚や子育てをしている連中とは異なる存在なのだ。
彼の名前は魔法になっていた。
レストランでは誰もが彼にサインを求めた。
Sally Kempton1(スピリチュアル業界で有名な指導者)が町に来てカルロスについての記事をエスクワイヤ誌に寄稿すると言った。カルロスのエージェントはタイム誌と特集記事の交渉をしていた。彼は、もはや謎の教授でもなく半端な小説家でもなかった。
もっと特別なもの。彼は・・・カスタネダだった。
(初出:2018年8月2日)