謎めいた生活を演じるカルロスをただ一つ俗世間とつなげているのがC.J.だった。
彼の本で寓話的に語られているエピソードの中には実話がある。
何人もの情報提供者(ドン・ファンを形作ったインディアンたち)から得たさまざまなエピソードに混じっているのがカルロスが実際に過ごしたロスアンゼルスでの平凡な生活だ。
カスタネダは最初からC.J.について触れている~だって著書を彼に捧げているくらいだから。
カルロスはC.J.にとり憑かれていた。
彼の著書に書かれていることが事実なのかどうかはメディアで大きな議論になっていた。Carleton Collegeの文化人類学者のPaul Riesmanがニューヨークタイムズの書評で絶賛すると、小説家のJoyce Carol Oatesは、彼の話があまりにも綺麗に作られていると反論した。
最初に長文の記事を載せたのはペントハウス誌だった。John Wallaceによる記事だが、RosieやRuss、他の学生たちの協力を得て集めたUCIの教材を基にしたものだった。
Psychology Todayがカルロスのインタビューを企画した時、彼はついに長い沈黙を破ってインタビューアのSam Keenに録音してもよいという許可をした。(『分離したリアリティ』のあとがきを参照)
Ned Brownの勧めもあって『イクストランへの旅』の出版の前にはいくつかのインタビューも受けた。カスタネダは突然、どこにでも登場するようになった。
Harper’s、ニューヨークタイムズ、ローリングストーン、the Village Voice・・・。
しかし、いずれも同じ間違いを犯していた。カスタネダの言葉をそのまま受け入れていたのだ。
タイム誌の記者がカルロスに彼のペルーにいる両親、CesarとSusanaなどについて尋ね始めたとき来るものがきた。タイム誌は、彼のArana一族がリマにいることを突き止めたのだ。
親戚たちはカルロスとは何年も音信不通で、彼のアメリカでの成功を聞いて驚いた。父親は記者に13年前にカルロスが送ってきたLACCの卒業写真を渡した。
記者たちは、これらの証拠がカルロスのブラジルでの叔母の家での生活との矛盾を指摘した。
「私の生活を統計などの情報で判断するのは呪術を科学で分析するのと同じだ。マジックの力を奪ってしまうのだ」と彼は言った。
上記の調査を踏まえた記事が1973年5月のタイム誌に掲載された。懐疑派と信奉派双方の見解を載せ、ドン・ファンの実在性やカルロスの仕事の信憑性について書かれていた。
彼のあやふやな履歴、ブラジルやアルゼンチン、そしてハリウッドでの生活。
移民記録や学歴書類やArana一族の情報を駆使してカルロス・カスタネダがブラジルではなくペルーで1925年のクリスマスに誕生したことを明らかにした。
イタリアとブラジルではなくカハマルカとリマで教育を受けたことも突き止めた。
この記事はUCLAでちょっとした騒ぎになった。
Douglas Sharonは「初めて彼にあったとき彼はブラジル出身で後にイタリア、アルゼンチンを経てUSに来たと言っていた。だが、彼との話でペルーの話題が多いのでひょっとしてとは思っていたんだ」と言った。
「南米人はなんとなくみんな似ているから。タイム誌の記事はびっくりしたけど、やはり噂は本当だったと思った」
雑誌が発売されてからすぐ、Jim Quebecは、カルロスとカルロスのガールフレンドのNannyとキャンパスでばったりでくわした。
カルロスはなんとなくきまり悪そうにしていた。
(初出:2018年8月10日)