Maya42『カルロス・カスタネダとの魔法の旅』26

今、この本を書いてるんだけど、まだ終わってないんだ」とカルロスが私に電話をかけてきた。「午前中にメキシコに戻る予定なんだ。本は”力の話”というタイトルだ。でもよくわからない書いてるけど難しいんだ。また(メキシコに)戻らなくては

どこに行くの?Oaxaca(オアハカ)?」と尋ねた。
うん。また戻ってくるまで連絡できないよ

私が離婚届について触れると「すぐに済むと思うよ。そしたらお金を弁護士に払ってしまう。あの連中とはもう付き合いたくない

カルロスは、ロスアンゼルスのWard & Heyler事務所のGuy Wardを弁護士に雇っていた。彼はWardとAlexander Tuckerをクビにしようと思っていた。おそらく彼のエージェントのNed Brownもだ。
カルロスは自分が稼げば稼ぐほど、そういった連中に依存するようになると嘆いていて自由を欲していた。

60年代に離婚したがっていたのは私だが、カルロスがメキシコの離婚手続きで私をだましたあとのらりくらりとそのままの状態にしておきたがっていた。
だが、1973年の秋になると突然、離婚手続きに前向きになった。
そろそろすべてのつながりを絶つ時期と思われた。

ぼくは、ぼうやを助けたい。ぼくとぼくの名前をそれから僕らの前のトラブルから。彼は名前がない。彼の名前はAdrian Gerritsen Jr.だ。(※C.J.の実の父親はAdrian Gerritsen)強力な名前だ

1973年の12月、ウェスト・ヴァージニアのKanawha County 家庭裁判所に行われた離婚の聴聞会で、私はC.J.に対する永続的な親権を得た。カルロスは出席しなかった。
数日後、彼が電話してきてすべて済んだと聞いてほっとしていた。
彼が何か問題はなかったかと尋ねた。

「そうね。あなたの誕生日は25日、来週の火曜日よね・・・」
「ちがう。もう僕には誕生日なんてないんだ」
「裁判所には母が付き添ってくれたんだけど、彼らが尋ねた質問の中にあなたの年齢があったから。私は、つじつまがあわないことがあると答えたわ」

カルロスがくすくす笑った。
「僕は適当な数字を言ったからね。かまうもんか」
カルロスはほっとた様子だった。
彼はたとえ裁判所が相手でも自分を秘密めかすことができたのだ。

「私たちは友達のままよね?」私は聞いた。
「僕はずっと友達であろうとしてたよ。これからどんな運命が待ち構えていてもだ」

まるでLACC時代のカルロスに戻ったようだった。彼はいつも運命について話していたものだ。

カルロス。あなたはもうドン・ファンがあなたに自分自身を理解させようとしていたものにとうになってるのよ。いまだに疑問を持ち続けているのがわからない、だってあなたはもう大丈夫なんだから。あなたに必要なのはそれを確認してくれる相手だけだと思う。あなたはもうあなたが考えている人物になってるの

カルロスは少し黙ってから話した。
ぼくのことを理解してくれているのは君だけだ

この電話の数日後、彼は弁護士のGuy Wardから離婚証明書の写しを受け取った。そしてWestwoodの自宅に戻って『力の話』を完成させた。

カルロスは初期の本でC.J.のことを「私のかわいいぼうや(my little boy)」と呼んでいたが、この本では「私がかつて知っていたぼうや(a little boy I once knew)」という呼び方に変えた。

彼は何も隠していなかった。彼はひとつ突き抜けたのだった。
1976年の秋、カルロスは、彼とC.J.がロスアンゼルスの北にある山にハイキングに行ったことを手紙で書いてきた。

「君とchochoを考えない日は一日もない。これはよく言う決まり文句みたいだが本当にその通りなんだ。君たち二人といたときが一番幸せだった。またchochoと一緒にハイキングに行きたい。肩車に彼をのせて山を登るんだ。山頂についたとき彼がさけんだんだ。”太陽!、山だよ!。Kiki大好き”
「彼の可愛い声はぼくが死ぬ時まで耳から離れないよ。もういちど君たちに会いたい。でも運命がそうさせてくれないんだ。僕にできるのは希望を持つことだけだ」

彼はこの話~フィクションではない~も本に記した。

(初出:2018年8月14日)