カルロスは私と付き合うようになった。
Lydetteとは違い私は彼の経歴を尋ねた。
彼は、1931年のクリスマスの日にイタリアでスイスの花嫁学校に通っていた16歳の少女の子供として生まれた。彼の父親は、大学教授で彼の母親Susana Navonaと出会ったのは世界中を旅行していたときだった。
母方のおばが訪ねてきてカルロスを引き取り、ブラジルのサンパウロにある家族農場で育てることになった。彼が大きくなるまで農場で過ごしやがてイタリアに渡った。そこで美術学校に入った。その後、ニューヨークに移った。
彼はモントリオールとニューヨークの美術学校に通ったと話したが、詳しくは言わなかった。
この時点でこうした嘘をつく合理的な理由はなかったように思える。
でも、こうした嘘が彼を国際的な人物に見せたし彼の絵画や彫刻に箔をつけた。
しかし、これらの嘘にその後の大きな計画性はなかったと思う。特別な理屈もなかったし彼の過去をごまかすための哲学的な意味もなかった。
それは後に、ドン・ファンに経歴を消すように言われてからの(後付けの)話だ。この時点では単に嘘を話すのを楽しんでいただけで、彼はそうして生きていたのだ。
カルロスが落ち込むのは珍しくなかった。いつもまじめだった。
カルロスは、彼が軍隊にいた時のことを話してくれた。腹と鼠径部にあるアザはその時の傷のあとだそうだ。深刻な傷で死の瀬戸際だったそうだ。
「敵が来たときは暗くなっていた」彼はスペインだか韓国だか、一度もはっきりとしたことは言わなかったが、その情報機関のために働いていたのだそうだ。敵に襲われて木につらされて腹を切られた。気が付いたときはベッドの上だった。
そのとき、もし生き延びたら違う人間になろうと決めたのだそうだ。
もう一度だけ彼が軍隊経験のことを話したことがある。二人で家を買おうと思っていた時、かれはGI Billローン(退役軍人が受けられる資金援助)が受けられると言ったのだ。
結局、ローンは申し込まなかったが、かれを信じることにした。細かいことだが、彼が鏡とハサミで自分の髪を切る姿とかを見たからだ。
一度大失敗したのを除けば、彼の散髪の腕前は大したものだった。
彼は、自分の服の修繕も得意だった。自分の着ているシャツの襟を裏返して縫って長い間使うのだ。
この技を彼が軍隊で習ったのか、イタリアでジプシーと暮らしていた時に覚えたのか、その時々で話が変わった。
防衛省には、カルロスが軍についていた記録は残っていない。
とにかく彼はカリフォルニアで過ごし大学に行くための金を稼いだ。そのころ、実家には時々手紙を出していた。(妹の)Luciaはその手紙を持っている。そこには彼が軍隊に入ったがちょっとしたケガのためか”神経的なショック”で除隊になったと触れているが、彼女はどちらか定かではないと言っている。
彼の話はいつでも自分を大きく見せようとする自信のない男のようだった。
でも全部が嘘だったわけでもない。母親に対する思慕、彫刻家への夢、自分の内部矛盾している性格について、これらはみな本当だし正確だった。
しかし、かれは嘘の話によって徐々に自分の過去の詳細を消していった。
(初出:2018年6月7日)