1973年の冬、カルロスとグロリアは、Malibuの海岸でブランケットにくるまって肩を寄せあっていた。
マリブは、ガビたちの家があるトパンガ峡谷のそばですね。
この後、風景描写がありますが、割愛します。
カルロスは、グロリアの手を優しく両手で包んだ。彼女の金色に輝く青い目が驚いていた。
あちらの文章では、かならず目と髪の色についての記述があります。これは日本の小説などではまず読んだことがない。
そして青い目が人気があるようです。かならず強調する。この感覚もよくわかりません。たしかにキレイですが。
「きみはいつもカゴに閉じ込められた鳥のようだ」
「君は飛び立つ準備ができている。扉は開いているんだ——でも坐ったままだ。きみを連れていきたい。君が舞い上がる手伝いをするよ。だれも止められないんだ」
Gloria Garvin は、身を固くした。三文小説のセリフのようなセリフだったが、特別な感じがした。
彼女は魅力的な女性だったが、これまでこんなことを言われたことはなかった。
彼女は26歳。(容姿についての記述を省略します)
彼女は1969年上旬、まだ寒い頃、カルロス・カスタネダについてHaight-Ashburyにあるビクトリア調のタウンハウスではじめて耳にした。
彼女はボーイフレンドとFillmore West(有名なライブシアター、オールマンブラザースのライブを思い出します)でグレートフル・デッドのライブにロスからサンフランシスコに出かけていたのだ。
コンサートがはけてから誰かが作ったハッシッシ入りのパンプキンパイを食べてごろごろしていた。

「グレートフル・デッド」が好きということは、やはり、カスタネダ系のテーマが好きな人々ということです。私の元上司が「グレート・”フルデッド”」だと思い込んで得意そうに演説していたのがちょっと痛い思い出です。
翌日、誰かが『ドン・ファンの教え』(1968年)の書評を大声で読み始めた。
(「教え」の概要が書かれていますが割愛します)
カルロスがドン・ファンとグレイハウンドバスの停留所で会ったのは、ちょうど、カルロスがマーガレットと結婚した6カ月後のことだった。
(「教え」の中で述べられている数々の非日常現象についての記述がありますが、省略)
グロリアはLAに戻るとカルロスが頻繁に訪れていたUCLAの図書館——彼は稀覯本コーナーを特に訪れていた——で働いる叔母に頼んでカルロスとのミーティングをアレンジしてもらった。(カルロスは、図書館の司書とも付き合っていた)
彼女はボーイフレンドと一緒UCLA学生会館でカルロスと会っていろいろな話題を愉しんだ。
別れ際にカルロスは彼女の手をとった「これはとても幸先のいい出会いだと思う」「ただ、あの愚か者を連れてきたのはとても残念だった」とボーイフレンドの方を向いて言った。
Amy Wallaceが、カスタネダの集会にSallyという親友をつれていったとき、カスタネダのスタッフの女性たち(DorothyとTarina)から同じような言い方で友人を侮辱されます。
DorothyとTarinaは、カスタネダの性格が伝染したんでしょう。
部下はカリスマ上司のクセをマネするってよくいわれますから。
それからの数年間、二人は手紙と電話で連絡をとりあった。
カスタネダの強いすすめで彼女もUCLAの文化人類学部に学部生として入学した。
そしてこちらも強いすすめであのボーイフレンドとも別れることにした。
そのころ、『分離したリアリティ』(1971年)を出版し、そして博士号をとった『イクストランへの旅』(1972年)も出版した。
カスタネダは女性との関係を築くのに非常に長い時間をかけます。
Amy Wallaceとは73年の夏にはじめて出会ってから、モーテルでセックスをしたのが91年の秋です。18年もかけています。
グロリア・ガーヴィンとは69年に会って、本章最後でキスをしますが、それが73年の冬です。
この1973年ですが、カスタネダはAmy Wallaceに『分離したリアリティ』をプレゼントしています。同時並行して口説く対象の女性に種を蒔いているってところでしょうか。実にマメ&ゲスです。
この後、原文では、『イクストランへの旅』の解説がありますがこちらも省略します。
(初出:2016年10月26日)